これまでのあゆみ

演奏会詳細

プロムナードコンサート 2008年 春

日時 2008年2月11日(月・祝) 14:00開演
会場 タワーホール船堀
曲目 メンデルスゾーン/弦楽のためのシンフォニア第10番 ロ短調
ストラヴィンスキー/協奏的舞曲
ベートーヴェン/交響曲第2番 ニ長調 作品36
アンコール: グリーグ/ホルベルク組曲 作品40よりプレリュード

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曲目解説

メンデルスゾーン/弦楽のためのシンフォニア第10番 ロ短調< br /> 美術や工芸の世界では、大家が若かりし頃の習作が後世に発見されて高く評価される機会が少なくありません。メンデルスゾーンの「弦楽のためのシンフォニア(交響曲)」も彼の死後に見直され、だんだんと演奏機会が増えている習作(秀作)の1つです。
この初期交響曲集は、作者が12歳から14歳(1821年〜23年)の間に全12曲作られました。旅行先スイスで聴いたヨーデルの響きを取り入れたり(第 9番)、弦楽合奏に複数のパーカッションを重ねてトルコ音楽を表現したり(第11番)、天賦の才能の赴くままに様々な試みを行い後の作曲の礎を築きました。
しかし、作曲者自身が秀作として位置付けたことに加え、ナチス政権下でユダヤ人の芸術が迫害された影響もあり、このシンフォニア集が再び演奏されるようになるまでに実に140年以上(1962年以降)の年月が流れたのでした。
第10番は、シンフォニアではあるものの演奏時間10分前後の単一楽章で書かれています。全編が短調ですが、それは"暗"や"悲"というよりもメンデルスゾーン一流の"歌心"や"叙情性"として現れています。また、ヴィオラパートが2部に分かれている点(1stVaと2ndVa)も特徴的で、中声部が独立したメロディと伴奏を持つことで作品にふくよかな魅力を与えています。【adagio】:冒頭の物憂い旋律は既に彼の作風を色濃く呈しています。暖炉に灯をともしたかのように温かな音楽が導かれます。【allegro】:哀愁を帯びた動機が推進力のあるリズムに乗り次々と展開する爽快な音楽です。【piu presto】:音楽は失踪し、若き天才作曲家のストレートな情熱をたたえつつ曲を閉じます。(チェロ・S)

ストラヴィンスキー/協奏的舞曲
「音楽は何も表現できない」と「自伝」で綴ったアンチロマンティストなストラヴィンスキー、彼は激変する世界情勢に応じて住む国と作風を変えました。ただし、ロシア民謡など古来のものから刺激的なリズムを活用して再構築する作曲スタイルは終生一貫していました。
法科生だった彼に転機が訪れたのが師であるリムスキー=コルサコフとの出会いでした。数年後にはロシア・バレエ団のディアギレフに見いだされ三大バレエを発表し、「春の祭典」では楽壇に音楽史上最大級の衝撃をもたらしました。第1次大戦の勃発を機にスイスへ移住し、指揮者アンセルメと親睦を深めながら室内学的な作品を多数発表しました。終戦後はパリへ移り、「新古典主義」的な作風を開眼。第2次大戦が始まるとアメリカでの永住を始め、1952年シェーンベルクが没すると彼の「十二音技法」を取り入れるようになりました。彼は大変な読書家で、画家ピカソや詩人でもあるコクトー、デザイナーのココ・シャネル、喜劇王チャップリンといった各界で活躍する人々と深い新興のあった20世紀を代表する「世界市民」の一人でした。
「協奏的舞曲」は1942年に完成された「新古典主義」時代末期の作品です。様々な楽器に受け継がれる「旋律」らしきものに「調性」めいたものがあるのですが、変拍子かそうでないのかわからなくなるリズム楽句や不思議な和音など、「新古典主義」時代のストラヴィンスキーらしさがとてもよく醸し出されています。「火の鳥」や「子守歌」はとてもロマンティックなのに…。曲名の通り各楽器に見せ場があり、編成が小さい分むき出しにされるリズム楽句が印象的です。本日の演奏で、「ヴァイオリンのあの人が素敵だった」「ホルン独奏は期待はずれだった」など、何かお感じ頂ければ幸いです。(ホルン・H)

ベートーヴェン/交響曲第2番 ニ長調 作品36
ベートヴェンの交響曲中、最も演奏されない曲とデータもなしに断言できるこの2番。でも決して他に見劣りしないですよね?
全曲、静かな音から突如大音量になったり、ゆったりした旋律にリズムが叩き付けられたりと、ハイドン風の"脅し"的対比がさらに強調されていて、それは楽句同士の対話というより論争、いや芝居におけるセリフのやりとりのようです。
この時期、形式の追求と実験に取り組み、ハイドンやモーツァルトらの影を払拭し始めたベートーヴェン。ピアノ奏者としての名声以上に作曲家として注目されたしたのもこの頃。
そしてもうひとつ、この時期を語るのに外せないのが「ハイリゲンシュタットの遺書」。読んでみると、進行した難聴にも負けず芸術に奉仕するため自殺を思い留まった自らを褒め称え、前に進む決意を示した内容。そんな転換期に書かれたのが、この第2番なのです。
レ音の全合奏で和音もへったくれもなく始まる第1楽章、長大な序曲は次々変わる曲想とリズムが楽しい。速くなってヴィオラ以下が弾く旋律が第1主題、ひとしきり盛り上がった後にクラリネットとファゴットが吹く旋律が第2主題。活気に満ちた楽章。弦と管のやわらかなやりとりが美しい第2楽章。後に歌詞がつけられたほど。交響曲史上初、スケルツォと明記された第3楽章。凸凹した曲想は、気性の激しさよりは実は冗談好きだった一面の表れか。突然呼びかけられたように始まる第4楽章。込められた熱量は高く、終わると見せかけて終わらない進行が余計に最後の爆発を誘います。
前述の遺書は密かに保管され死後まで誰の目にも触れませんでした。そのことが却って「音楽家は芸術家だ」と宣言した彼の、昂然とした気概と使命感を表しているように思えます。そしてそれはこの第2番にも。(ファゴット・A)

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